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給食を残してはいけないという地獄(回顧録:小学校時代)

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保育園探しをしたり小学校の学童を調べたりしながら、我が子の未来に想像を巡らせていくと、自分自身の忘れていた記憶が蘇ってくる。今日はそんな中苦い記憶として蘇ってきた小学校時代の「給食」の話 。

 

 

給食を残すことが許されない

 僕の小学校高学年の時の担任の先生は給食を残すのを許さない人だった

こうやって書くと、「忍たま乱太郎の食堂のおばちゃん」みたいなのを想像するかもしれないが、そんな楽しいものではない。

『給食を残さない』それは『クラスごとに割り当てられた給食を全部空にして返さなければならない』ということだった。今から20年弱前の話である。

担任教師の主張

・残すことは僕たちの成長にも良くない
・世界には満足にご飯が食べられない子供達がいる
・給食を作ってくれているおばちゃん達に失礼だ

とくに3番目の理由をよく話していたのを覚えている。

時は平成の世。飽食の時代。給食はクラスの人数ぴったりの分量が割り当てられているわけではなく、少し多めに入っているわけで、当然クラス全員分を配膳しても余る。

そうすると給食が始まってひと段落した頃、先生が持参した塩を振って、おにぎりを作り出すクラスの人気者達(←当然彼らには食べ物の好き嫌いなどない)が動き出す。

担任の先生を中心に、余ったオカズのお代わりを配膳していき、クラスに割り当てられた給食を空にしていく毎日。

空になった箱を見て満足げな担任教師。

 

僕は当時、野菜全般が嫌いであまり食べられなかったので、担任が給食を残すのを許さないと言っているのを聞いた時、なんともいえない恐怖を感じていた。

担任によって制定されたルールによると、嫌いなものは「いただきます」の前、つまり口をつける前に減らすことができるとのことだった。

そこで、僕はいただきますの前に嫌いなものを極限まで減らすようにした。
それでも一口分は残ってしまうのでそれを「スープ系の献立と一緒に我慢して飲み込む※」ということをやったり、担任が持参した塩を入れふりかけまくって、塩味でごまかして食べるということをしていた。

※今もそうかはわからないが、当時給食の飲み物は牛乳だったので、スープと一緒に飲み込むしかなかった。

強者の理論

先生の忠実な犬であったクラスの人気者たちは、給食の後半の時間になると、こぞって余った給食をお代わりしたり、それを各班に回って配ったり、塩を振っておにぎりにしたりしていた。彼らは正義だった

きな粉の揚げパンやデザートのプリンなど、みんな大好きな献立が余った時(休みの子の分)、普通であれば全員参加のじゃんけん大会が繰り広げられるのが世の常であろう。が、僕のクラスではこれに参加できるのは普段からクラスの給食を平らげることに貢献している人気者と大食漢だけだったのである。

好きな物だけたくさん食べようなどと甘いことは許されない。僕のクラスにはそんな空気が出来上がっていた。 

食べれないものは食べれない

「好き嫌いをする方が悪い」だとか、成長に必要のないバランスの良い食事を指導してくれたのだから、子供のことを考えてくれる良い先生じゃないか、と思う方もいるかもしれない。

おそらく当時は僕もそう思っていた。

「食べ物を残すべきではない」それは正しいことであることは間違いない。でも正しいがゆえに従わざるを得なかった。もはや正しさの暴力だ。

※ちなみにその先生は人情に厚く、その小学校の名物先生で、生徒からも教員からも保護者からも良い先生だと思われていた(ように見えた)

 

また「野菜が食べられるように育てなかったお前の親が悪い。」という風に思う人もいるかもしれないが、家では親が味付けとか食感とかについて色々工夫を凝らして野菜を調理してくれていたので、割と普通に食べれていた。

母の作るご飯は美味しかった。(今でもそう思う)
そして結局最後まで、給食のあの薄味の少し冷めた野菜達は美味しく食べることはできなかった。

大人になって

小学校の時に苦しかったのに、子供ができて小学校のことを考えるようになった最近まで忘れていたが、おとなになった今振り返ってみると色々と考えるところがある。

担任の振りかざす理論は正しかったのか

担任が1番重要視していた「給食のおばちゃん達への感謝の気持ちはないのか」理論は本当に正しかったのだろうか

給食のおばちゃんは給食を作るのが仕事なわけで、給料をもらってその対価として労働力を提供しているわけだ。

今考えると、より美味しいものを作っていくためには「消費者である児童たちが己の味覚に従って美味しいと思うものは平らげ、美味しくないと感じるものは残すべきなのではないのか」とすら思う。

そうやって目に見える結果をフィードバックしていくことで、給食のおばちゃん達は更に工夫を凝らしてよりよい給食を作り上げていく、とような流れが正しい姿なのでは。

「一生懸命やっているから、感謝されないとおかしい」なんて、企業のサラリーマンの世界じゃあり得ない。

みんな頑張ってる。頑張ってるけど、消費者やクライアントから感謝されない。それどころか否定されたり貶されたりされながら、地べたに這いつくばって泥水を飲みながら、それを乗り越えて、努力して、工夫して、より良いものを作っていくのが社会人なんじゃないのか。

 

食べ物の好き嫌いについて

地獄の小学校生活が終わり、中学校に上がってからは、給食では嫌いなものは残した。

僕の中学は給食が不味いことで有名だったが、全く気にならず、好きな献立はお代わりし、楽しく給食の時間を過ごくことができた。

そのまま高校生くらいまではこれといって積極的に野菜を食べなかったが、大学生になって飲食店でバイトをするようになった際に自然と野菜が食べれるようになった。

 

今では好き嫌いはまったくない。

 

あの小学校の日々はなんだったのだろうか。

あの先生は今頃どうしているのだろうか。(今の時代にあんなスタンスだと、普通に虐待になると思うけどなぁ)